書評・感想『ライ麦畑でつかまえて』(J・D・サリンジャー)
《書評》は、ネタバレ無しの、購入の目安としてのコメント。
《感想》は、ネタバレ有りの、読了後の参考としてのコメント。

《書評》
 なるほど、本書が若者から多大な人気を博したというのは分からなくもない内容である。
 この小説のタイトルを、今流行りのライトノベル「涼宮ハルヒ・シリーズ」風に、別のタイトルを付け替えるなら、『ホールデン・コールフィールドの反抗』とでも付けられそうだ。
 これが「反逆」でなく、「反抗」と言うところにミソがある。
 と言ってもこれは飽く迄、私個人のニュアンスなのだが、「反逆」よりも「反抗」のほうが、軟弱なイメージがある。と言って、主人公であるホールデンの反抗が軟弱だと言うのではない。この作品の世界観ならば、「反逆」といった大掛かりなもの(飽く迄私個人のイメージ)を髣髴とさせるものよりも、「反抗」のニュアンスのほうが適している。
「この作品の世界観」と言うのはつまり、「近現代の我々若人が見る人間社会」のことである。
 多くの場合、青二才の若人は大人に反抗したがる。それには様々な理由があるが、そんなもの当人達にとっては関係の無いこと。それが理解できれば反抗などしないのだ。
 若人当人にとって重要なのは、「反抗すること」そのものなのであり、それによって自己を確立せんと働く行為にこそ憧れ、そして成長していくものだろう。
 なるほど、本書が若者から多大な人気を博したというのは分からなくもない内容である。


《感想》(↓反転してお読みください)
 私個人としては物足りなかった。
 若者の反抗精神を描き、それを近現代を舞台において行ったということにこの作品の意義があるのだろうと思うが、《書評》でも書いたように、「反抗」というのはやはり、軟弱なイメージを伴う。
 だが、これは近現代を舞台にした場合、仕方のないことでもある。普通、昨今の先進国では一応の平和が保たれており、「反逆」に至るほど、過激にして憤懣やるかたない程の「大人社会」はあまり見られない。いや、若人の関心がまずそこへ向けられることも少なくなった。
 つまりホールデンは孤独なのだ。
 少しばかり昔の日本ならば、学生運動のようなものもあり、「反抗」または「反逆」の「仲間」がいた。だが今では、そのような「反抗」または「反逆」に共感する仲間などほとんどおらず、一人、自己の脳内で不満を独語するしかないような状態へと変化している。
 このような情勢下で、「一人きりの反逆」を行うことなど、普通はできない。そのような事情があり、ホールデンは「反逆」でなく「反抗」に留まったのではないだろうか。
 だが、ここで私は、その「一人きりの反逆」を描いた作品を挙げておきたい。
 レオン・ブロワの『絶望者』という小説である。
 この作品における、社会に対する「反逆」は凄まじい。
 その「反逆」が、どうやら激越すぎたらしく、当時の文壇ではあまり評価されず、レオン・ブロワは不遇な一生を終えたらしいが、確かにこの作品における「反逆」は半端ではない。
 だがこの作品、舞台背景が19世紀末のフランスと、『ライ麦畑でつかまえて』よりもかなり昔、且つアメリカとフランスという違いがあることは踏まえた方が良いかもしれない。
 だがそれにしても、先進国の発展目覚しい時代であることには変わりなく、『ライ麦畑〜』と比較してみることも可能であろう。
「激越なる反逆」と「ささやかなる反抗」としての、『絶望者』と『ライ麦畑でつかまえて』。
 そういった観点で二作品を読み比べてみると、中々面白いかもしれない。

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