書評・感想『さかしま』(J・K・ユイスマンス)
《書評》は、ネタバレ無しの、購入の目安としてのコメント。
《感想》は、ネタバレ有りの、読了後の参考としてのコメント。

《書評》
 頽廃的だ。
 実に頽廃的だ。
 本作は、「デ・ゼッサントという男の頽廃的生活」をそのまま書き表した作品だと言えるだろう。
 注意すべきことは、本作で描かれている「頽廃的生活」とは「デ・ゼッサントの」であり、それは必ずしも、直接的に皆の共感を得るものではないであろうということである。
 だが、「彼の頽廃的生活」から、「頽廃的生活」のなんたるかは充分に読み取れるだろう。
 そこにこそ本作の意義があると思う。
 頽廃的な……デカダンな「生活」を夢想する人ならば、本作を読んで、主人公デ・ゼッサントのことを実に羨ましく思うだろう。
 まさに、三島由紀夫をして「デカダンの聖書」と言わしめただけのことはある、デカダンにおける「聖書」的存在。
 それが本作である。


《感想》(↓反転してお読みください)
 正直に言って、とてつもなく読み辛い。
 だが、「頽廃的生活」を夢想する人間にとっては、とても興味深い内容である。それ故に、たとえどれだけ読み辛かろうと、読まなければならない。そんな気にさせる。
 各章は、その殆どが独立していて、連作短編集的な構成になっていると言えるだろう。そのため、一章ずつ着実に読んでいけば、読み辛さを多少は軽減できるだろう。
 或る章では宝石に関するデ・ゼッサントの嗜好を語り、  或る章では花に関するデ・ゼッサントの嗜好を語り、  或る章では絵画に関するデ・ゼッサントの嗜好を語る……。  とにかく本書の内容は、主人公ジャン・デ・ゼッサントの嗜好であり志向であり思考であり、それらによる試行の叙述である。
 故にそれらは極個人的であり、共感できない事柄に関してはとてつもなく退屈である。
 これはまさに夢想の叙述といえるだろう。
 他人が見た夢の話を聞いても面白くないと決まっている。
 それと同じだ。たとえ実際に寝て見た夢でなくとも、個人が夢想した理想世界の話など、聞いたところで共感できる部分は極僅か、もしくは人によっては皆無であろう。
 だが、これは「ジャン・デ・ゼッサント」の夢想である。
「ジャン・デ・ゼッサント」というカテゴリーに属した夢想だけが語られているのが本書『さかしま』なのだ。
 故に、「ジャン・デ・ゼッサント」のカテゴリーに属する読者ならば、彼の詳細な夢物語に直接的に共感することができなくとも、おおまかな枠としては、一致するものを見出すことが出来るだろう。
 それがすなわち「頽廃的生活」である。
「デ・ゼッサントは宝石をこうした」ということを読み、読者は「自分ならばこうした」と考える。
「デ・ゼッサントは花をこうした」ということを読み、読者は「自分ならばこうした」と考える。
「デ・ゼッサントはこんな絵画が好きだ」ということを読み、読者は「自分ならばこんな絵画が好きだ」と考える。
 このように、本書は「頽廃的生活」の一具体例として読むことによって、「頽廃的生活」の本質を読者が自ら透かし見ることによって、「デカダンの聖書」たりうるのだ。

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