無根拠な考察


「人参が切れない包丁って、どうかと思うぞ」
「人参か……。確かに、人を参らせるものならば、それを切って人を人ならしめなければならないからね」
「は? どういう意味だ、それ?」
「『ニンジン』って、漢字で『人』を『参』らせるって書くでしょ。だから、その文字を切り離して『人』を独立させることにより、『人』を『人』ならしめる、というわけ」
「はぁん。なんか学問的やなぁ」
「そうとも限らないさ。生憎と、寡聞にして『人参』という字がどうなのかということは知らないが、日本語の中には音が同じということで当て字で漢字を当て はめている言葉もあるからね。つまり、時には、さっき俺が『人参』についてやってみせたような分析をすることにより、その言葉のより深い意味を知ることが できる場合があり、時には、ただ音で当て字された言葉を分析して、実際その分析は言葉が表している物事の解釈には役立たないけれど、その分析結果と照らし 合わせて考察することによって中々面白い解釈ができたりする。
 こんな感じで、言葉の分析には学問的なものと娯楽的なものがあるわけだ。これって中々、緩急があって良いと思わない?」
「う〜ん。俺には到底理解できない考え方だな」
「ん? と言うと、君は勉学は嫌いなの?」
「勉強なんて嫌いだね」
「じゃあ、勉学は?」
「勉学? 勉強と同じと違うのか」
「ああ、これは俺の解釈なんだけどね、つまり、『勉強』っていうのは、『勉』めることを『強』いるから『勉強』というのであり、『勉学』というのは、『学』ぶことに『勉』めることだから『勉学』というのだという区別なわけさ。
 つまり、『勉強』とは嫌われることが前提として『勉強』と言われているのであるから、それが嫌われるのは当然であり、かつ必然なわけだ。しかし『勉学』となると、その好悪は個々人によって変わってくることになる。
 だから俺は君に、『勉学は嫌いなのか』、という問い方をしたわけだ。
 で、君はそこのところ、どうなの?」
「そこのところって?」
「勉強でなく勉学は、つまり学ぶこと自体は好きなのか嫌いなのか、ということさ」
「だから、学ぶ事は嫌いだって言ってるだろ」
「……その言い方から察するに、君は俺の言ったことを理解できなかったようだね。理解できていたのならそのような反応は返さないはずだ。
 俺はさっき、『勉強』と『勉学』の違いを説いたつもりだった。そしてそれによって、俺は君が『勉強』は嫌いだということは謂わば真理として知っていた が、『勉学』も嫌いなのかどうかはわからない状態にある、ということを同時に説明したことになったわけだ。それなのに君は、さっき俺が述べ立てたことが全 て無意味だったかのような反応を返した。それでどうして、君が俺の話を理解できたという解釈が出来ようか。
 しかし、まぁ良いさ。どうせ君は他人なんだからね。自己以外の人物に対し、言葉によって何かを百パーセントの状態で伝えるなんて、不可能なんだからね。
 人間の意思は、言葉という対象に完全な形で吹き込むことが出来ないほどに曖昧模糊としている。
 そんな曖昧な状態でしか形に為しえていない言葉は、量が増えれば増えるほどに、他者との意思疎通は難しくなる。
 さっきの俺の説明も、あまりに長々しすぎた。長くなればなるほど、その言葉、つまり文章は、解釈が多様化し、意味の画一化の不可能性を増大させることになる。
 しかし、俺たち人間は、その言葉を使ってでしか、他者とのコミュニケーション手段を持たない。故に数多の誤解を招き、闘争が生まれる(これは闘争の原因論としては、きわめて現実的なものと言えるだろう)。
 しかしそこで、ボディ・ランゲージや数学なるものがあるではないか、と思われるかもしれないが、それも無意味と言わねばならない。
 ボディ・ランゲージなど、ただ単に言葉を体で表しただけのものであり、それが言葉であることには変わらない。
 数学にしても、最後にはその意味を言葉として解釈しなければならなくなるのだから、折角の記号化も効果を持たないし、公理なるものをどう扱うかという極めて文学的な問題が立ちはだかっているという点において、その無力性は明白であろう。
 俺たちはもはや、バベルの塔の建設に失敗した落伍者として、絶対的とも言える孤独者としてしか在りえないのである。
 それ故に俺たちは、他者を求めるのかもしれない。
 それ故に俺たちは、社会などというシステムを組み上げなければならなかったのかもしれない。
 それ故に俺たちは、その未完成で、愚劣で、中途半端でしか在りえない社会システムに従わざるを得ないのかもしれない。

 俺たちには最初から「理由」というものが欠如している。
「理由」……それは、俺たちが生まれてきた理由。生き続けなければならない理由。
「理由」……またの名を、「意味」。
 そう、俺たちにはそれが無いからこそ、それを求める。求めざるを得ないんだ。
 しかし、俺たちはそれを運命的に、または宿命的に、有していないのであり、有せない。
 それ故に俺たちは、「理由」を求め、「意味」を求めて言葉に意味付けをし、自らの人生に意味を持たせようとするのではないか。
 この宇宙は広がり続ける。
 ただ広がり続けるだけなんだ……。
 
 無意味に。

 ただ、それは果たして、無意味ではあっても無根拠なのかどうか、という疑問が残ってしまうことになるが……。

〈了〉


戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送