劣等者のメロディ


「ああ、僕はなんて馬鹿なんだ」
「そんな事言って、実際はそんなこと思っていないんだろ」
「何を言う。思わなければこんなこと言わないだろうが」
「いいや、それは違うね」
「なんでそんなことが解るんだよ。うるさいなぁ。どっか行けよ」
「無理だね」
「はぁ? 意味の解らない事を言うな。どっか行けって言ってるだろ!」
「だから無理だって」
「なんでだよ?」
「動けないんだ」
「はぁ? まったく意味が解らん。動けるだろうが、足があるんだから。邪魔だよ。どけ!」
 そう言うと彼は、右掌で僕の左胸あたりを強く押した。
 僕はその圧力に耐え切れず、二、三歩後退りをする。
「ほら、動けるじゃないか」
「いや、僕は動いていないよ」
「はぁ? 後退りしただろうが」
「それは君が動かしたんだ。僕が動いたわけじゃない」
「…………」
「そう怒るなよ。解った、説明しよう」
 僕は説明を試みる。
「僕が動く事と、僕が物を動かす事、さて、この二つの行為は同じ行為だろうか? どうかな?」
「違うに決まってるだろう」
「そうだよ。それが解って何故僕の言ったことが解らなかったのかな。つまり、僕は動こうとしなかった。だから動かなかった。だが君が動かした。僕は動いたのではなく、君に動かされたのだよ。こんな簡単なことも解らないなんて、やっぱり君は馬鹿だね」
「なんだと!」
「ほら! やっぱり君は自分の事を馬鹿だとは思っちゃいなかったんだ」
「貴様! 嵌めたな!」
「そうじゃない。これは偶然だよ」
「何が偶然だ!」
「僕が動く事と、僕が物を動かす事は全く別の行為だ。ならば、僕が動く事と、僕が君に動かされる事も、まったく別の行為じゃないのかな」
「……そんな詭弁かよ」
「詭弁? そうかもしれない。だが、詭弁だからと言ってそれが虚偽だとも限らないだろう」
「はぁ? 詭弁は虚偽だろうが」
「おやおや、君はつくづく馬鹿だねぇ。名辞というものを知らないのかい?」
「うるさい!」
「おやおや、その言葉は議論において禁句だよ。その言葉は窮極の馬鹿が用いる言葉だ」
「こいつ……言わせておけば……」
 彼は近くに置いてあった西洋短剣を手に取った。
「おいおい、なんて物騒な物を持ってるんだ。今時ダガーとはね。僕的には果物ナイフがオススメなんだけどなぁ」
「うるさい、黙れ!」
 彼は僕の首筋目掛けてダガーを振るった。だが完全に捉えることは出来ず、掠り傷を与える。
「おいおい、やめておいた方が良いと思うぞ」
「うるさいんだよ!」
 ついに仕留めた。グサリと刺さったダガーによって、彼と僕は死んだ。

≪あああ、だから言ったのに。やめておいた方が良いって。彼は自分が二重人格だったことに気づいていなかったんだな。
『彼』と『僕』は、代名詞であって属性だ。自己を表す属性。つまり、『彼』は『彼』としての独立した存在ではなく、それと同じように、『僕』もまた独立した存在ではない。『彼』も『僕』も『自己(ここでは仮にこう表現するが)』の一属性に過ぎなかったのだ。
 しかし、その分類は名辞の絶対性を無視しているように思える。名辞が違えば、そのモノも違う。故に『彼』と『僕』は、同じ『自己』として存在するはずがない。
 だが、果たして『自己』が本性であるとも限らないのだ。自己の内に存在する『彼』と『僕』は、それぞれ『自己』を属性とする独立体なのかもしれない。故に、『彼』と『僕』の会話が成立した……。
 あれ、それにしても、なんで僕は死んだ筈なのにこうやって思考することが出来るんだ?
 ああ、あなたが……。なるほどね。よく解ったよ。なるほどなるほど……。面白いね。うんうん。面白い面白い。実に面白い。だから僕はこうやって考えるこ とも出来るし、話しかける事もできるというわけか。これが死後の世界ってやつなのかな? ああ、僕にとってはそれにあたるんだろうね。でも、あなたにとっ てはどうなのかな? 僕は殺されて、生かされることによって死後の世界を生きているが、君達は?
 君達の世界は僕達と違って、小説の世界ではないのだろう? ねぇ、読者の君。
 僕達の形而上学はあなたに考えてもらうとして、あなたの形而上学は誰が考えているんだろうね? 面白く無いかい、この問題?
 フフフフフ。面白いね。うん、面白い。フフフフフ。実に愉快だ。実に面白い。うんうん。フフフフフ。フフフフフ≫


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