MM


 私は日ごろこんな事を考えている。
 どのような殺し方、そう、どのような人間の殺し方が、最も楽しく、面白く、快く、そして美しいのか、という類のことを。
 まず手始めに、目玉を抉り出すというのはどうだろうか。
 視覚という、人間が最も依拠しているであろう世界を知覚するための感覚を奪われることは、中々に恐怖だろう。しかし残念ながら、それでは己の体が嬲られていく様を見せつけることができなくなるため、却下すべきだ。
 では眼球は後半まで取っておくことにして、では何が良いだろう?
 腕をもぎ取る?
 足をもぎ取る?
 いやいや、もぎ取ることに拘る必要は無い。リストカット常習者のごとく、腕といわず太腿、腹、背中と、剃刀で筋を刻んでいくと見栄えが良いかもしれな い。そうだ、それが良い。そうやって筋を入れることにより、まるでこれから行う緻密な惨殺のための方眼紙を、その体に刻み込むのだ。そうして更に自然形成 されるのは、真っ赤な血液による下敷きだ……。
 そうして、理路整然たるいたぶりが済んだ後は――
 その次は、そう、手の指を一本ずつ、鋏で骨に達するまで切り込む。そうして上下両方の刃がその指の骨に当たったら、骨は切り落とさずにそこで鋏を抜き取 り、他の角度からも、三六〇度ぐるりと切込みを入れる。そしてできた切れ込みから上の、指先部分を思い切り、しかし慎重に引っ張りぬいて、指の骨を露出さ せるというのはどうだろう。それをすべての指に行う(あ、言っておくがそんなことする前に指の爪を剥がしておくのは、私たち殺人鬼には常識だからね。爪を 剥がす前に指を抜き取るなんて馬鹿なことを、と思われたかもしれないが、そんな考えを起こす方が、殺人鬼としてよほど馬鹿だということを付言しておく)。  そうして、手の指をすべて、まるで指先から白い小型ミサイルでも発射しようと構えている風情の手にしてしまうのだ。その滑稽さ、ユニークさが、ブラッ ク・ユーモアで面白い。きっと受けるに違いない。中々に可愛い嬲り方をするサディストもいたもんだねって。
 そう、私はサディストと言っていいだろう。でも私は、マゾヒストでもあるのだ。いや、私のような場合は稀かもしれないし、もしかするとこれが殺人鬼の常識なのかもしれない。しかしながら、私はSかMかと問われると、答えにくいのが今までである。
 というよりも、そもそもの分類が不可能なのである。私はサディストでもありマゾヒストでもある、などという、対概念同士を両立させることなど不可能なのであるから。
 では私は一体どういった嗜好をもった殺人鬼なのだろうか?
 サディストでもあり、マゾヒストでもある?
 それとも、
 サディストでもなく、マゾヒストでもない?
 まさかどちらでもないという結論になってしまうのであろうか?
 いや、そう難しく考える事はない。簡単なことだ。そう、私はマゾヒストだ。しかしただのマゾヒストではない。そうだなぁ、簡単に言うところの、メタ・マゾヒスト。超マゾヒストだ。
 私は、自分の中に存在する自己と言う他者を他の自己が虐めることによって快感を得る。
 一言で表せばそういうことになるだろう。
 もう少し詳しく述べるならば、こういうことになる。
 つまり、私は私をも他者として捉えることにより、自虐をも他者への虐待行為、つまりサディズムにのっとった行為にしたてあげるのであり、それは外面的に はマゾヒズムの行為に映るであろうが、私の内面では、それはサディズムの精神によって自己と言う他者を虐めているのである。
 つまりそれが、超(メタ)マゾヒズム、マゾヒズムでありながらにしてサディズム、サディズムでありながらにしてマゾヒズムという、新たな主義思想の発見である。
 しかしながら、と、疑問を呈されるかもしれない。そう、私は殺人鬼である。人間をどのようにいたぶり殺すのが最も美しいか、快いかを考えて、今までにも数え切れぬほどの数を――ヘンリー・リー・ルーカスの伝説には程遠いが――殺してきた。
 それが何故、メタ・マゾヒズムになるのかと、疑問に思われるであろう。
 しかし、それもまたメタ・マゾヒズムによる行為なのである。少なくとも私にとっては。
 つまり私は、他者を美しく快く殺す――サディズム――ことにより、罪悪感や腐臭、グロテスクな刻まれていく被害者の姿を見ての嘔吐感など、そういった虐めを自らに与える――マゾヒズム――ことによって、快感を得るのである。
 故に私はメタ・マゾヒストであり、メタ・マゾヒストの殺人鬼なのである。
 しかし、私がメタ・マゾヒストであり続けるには、美しさが必要不可欠となってくるのは分かるだろうか。そもそもの美学をここで論じたてるつもりは無い が、私が誰かを殺すとき、その方法を疎かにし、まさかジャック・ザ・リッパーのような無様な方法で行ったならば、その時こそは、私は自己と言う他者を、肉 体的に虐めるメタ・マゾヒズムに頼らなければならなくなるであろう。自分が他者を美しく殺す、というサディズムの満足があってこそのメタ・マゾヒズムの満 足なのであるから。それをせずに他者を殺すということは、私にとっては最大のタブーとなる。
 それを考え合わせていただけば、過去発生した猟奇殺人というものは、ただのサディストの犯行である場合が大抵である、ということが分かってくるだろう。
 未だ、私のような美しさを追及した殺人鬼にはお目にかかったことが無い。しかし、そのような――メタ・マゾヒストの殺人鬼が、常識的に出来(しゅったい)するようなことになったならば、恐らくその日にこそ、世界平和実現の道が開かれていることだろう。

〈了〉


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