形而上世界


 私はまだ、学生をやっている。
 今は大学の一年、秋学期の終盤だ。
 今日もまた、いつもの如く電車に揺られての通学途中。
 今日はちょっと特殊な日で、いつも地元の駅から一緒に通学している友人が、なんだかよくわからない理由で大学を欠席することになったのだ。
 だから今は一人。
 ただ、いつもと変わらないのは、四日市から名古屋に向かう急行電車の座席が空いておらず、立ちっぱなしでいなければならないということ。
 その間に本を読むなりしても良いのだが、どうも朝はそういう気分にならない。頭が起ききっていないのだろう。
 だからそういう時は、大抵ボーッと焦点をどこにも合わせないような目をして立ち尽くしているのだが――
 何故か今日は、ふと扉に付けられた硝子窓越しに、空を眺めてみる気分になった。

 首を四十五度ほど上へ傾けた辺りに、朝の月が見えた。
 満月ではない。右下三分の一程度が欠けた、中途半端な形の月だった。
 しかし、だからこその感慨が、それを見た私に去来した。

「爪のようだ」
 そう、ふと思った。
 それが第一印象。詳細など何もあるわけもなく、ただ漠然と、指の爪のようだと思ったのだ。
 よくよく考えて見てみると、それは特に、親指の爪のように思われてきた。
 指先を左上に向けた親指の爪。
 親指の爪が、薄青い空を背景に、ポツンと一つ、浮かんでいる。
 この不可思議な映像を連想した根拠は、おそらく、月の右下部分の欠け具合(グラデーション)が、あるものに似ていたからだろう。
 そのあるものとは……
 私には爪を噛む癖があるのだが、最後には爪は噛み切ることになる。そして、他の爪を噛む癖のある人間はどうしているのか知らないが、私の場合は指で引き剥がすことになる。
 引き剥がすと言ったところで、それほど大部分的に剥がせるわけでもなく、剥がすつもりも無いので、そう怯えるような事にはならない。
 そうして引き剥がされた爪の根元の部分、その形・色合いなどが、月の欠け具合に似ているのだ。
 しかし、そういったリアルな根拠が判明したところで、その月が親指の爪に見えるという事態は変わらなかった。むしろリアリティが付加された分、いっそうの不可思議さを持ったように私には思えた。

 だが、その思考も次の思考によって、一旦姿を隠すことになった。

「煙突」
 ふと、窓外の景色の中に、モクモクと煙を吐き出しながら屹立する煙突の姿が目に入った。
 それがまた、私に印象を与えてくる。
 
 今までの学生生活の中で、社会科見学と名の付く行事を何度か経験してきた。
 しかし、改めて考えてみると、真っ当な《社会科見学》といったら、小学校の頃に行った、ゴミ処理場の見学ぐらいなものだったと思う。
 いや、もしかすると他にも真っ当な《社会科見学》はあったかもしれない。
 だが、私の記憶には、ゴミ処理場の記憶しか残っていない。それも、建物の中での記憶ではなく、建物の外観に関する記憶という、《社会科見学》には殆ど関係のない部分においてである。
 その記憶というのが、「煙突」なのだった。
 想像するに……
 真上から眺めれば、きっと綺麗な正方形に見えるであろう四角い、上から下まで同じ太さの煙突。
 そしてその先端から、モクモクと立ち上る、ホントウに入道雲のような煙。
 私は煙突を見ると、いつもそこから吐き出される煙が気になっている。
 なぜあんなにゆっくりと、モクモクと膨れ上がって形を維持できるのか。
 それが入道雲そのものであったなら、それが空での出来事であったなら、私は納得できていたかもしれない。
 だが、それは煙突という地上にあるものから吐き出されているのだ。
 その構造、理由は、専門家にとって見ればどうということのない現象なのかもしれない。
 だがそれを知らない私には、とても不可思議なものに見えるのだ。
 そして、その記憶の光景が、今の私が窓外に眺める「煙突とその煙」の光景に、あまりにも酷似していた。

 そして、ふと月のことを思い出す。
 
 親指の爪が、底の無い、薄青い空を背景に、孤独にポツンと浮かんでいる風景。
 黙黙(モクモク)と、ゆっくりと姿を変えながら、中々変わりきらない入道雲のごとき煙を吐き出す煙突の風景。

 そして思う。
 嗚呼、世界はなんて、こんなにも不可思議な光景に塗(まみ)れているのだろう。
 これではまるで、ジョルジョ・デ・キリコの絵画の中のよう。
 そうだ、これではまるで、形而上の物体がそのまま存在している世界ではないか。
 嗚呼、世界はこんなにも形而上的だったなんて。
 
 今頃気づいた。
 やっぱり面白い。学問はこれだからやめられない。
 私は形而上学が好きだ。
 この世界が形而上世界だというのなら、形而上学は尽きることが無いだろう。
 永遠の学問、形而上学。
 この一生を捧げるに足る学問ではないか。
 私はこうして、ずっと学問を続けていくのだろう。
 どんな職業に就こうとも、どんな職業に就かなかったとしても。
 この世界に住んでいる限り……

 そう、
 私はまだ、学生をやっている。

<了>


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