第一章――修辞的分析
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 宗教・哲学について論じるには、人間について論じることになりかねない。人間について論じるという事は、人間存在における形而上学を考えるという事である。そしてその解明には、修辞的な分析法をとることにより、より簡単な解明が可能になるはずである。そして、この冒頭の「宗教について論じるには〜」といった関連付けによって得た「〜という事は、人間存在における形而上学を考える事である」という結論こそが、まさに修辞的分析の成果なのである。
 『修辞的分析』とは難しい表現を使っているが、簡単に言ってそれは『比喩』のことであると比喩できるだろう。『修辞』と聞くと、どんな大層なことを言っているのだろうと思われかねないが、『比喩』と呼びかえれば、いや、比喩すれば、解り易くなるはずである。
 比喩によって別のものに置き換え、その簡略化されたものを解明することを『修辞的分析』と、勝手に呼ばせてもらうことにする。しかし、これによって比喩された原物が、解明されるわけではない。比喩によって現れた別のもの――発現物――が解明されるのであって、その解明されたデータを、原物を解明するための資料とするのが修辞的分析の目的である。修辞的分析によって発現してきたデータは、その原物のデータとしてそのままとまではいかずとも、極めて近い形で発現物への適応が可能であると思われる。その簡単な証明を、冒頭の分析結果を用いて行ってみたいと思う。
 まず初め、私は宗教・哲学についての解明をテーマとした。しかし、それら二つを解明――この場合、定義するということは、対象が漠然としすぎており、そのままの状態でいきなり答えを出すのは大変難しいだろう。であるから、対象を、解明がより簡単な別のテーゼへと置き換えて、そちらを解明することにより元の対象を解明できるのではないかと考えた。次に、どのように置き換えを行うかという問題が現れた。それについては、連想による想定、つまり比喩というレトリック(修辞学)が良いのではという結論に至った。
 そのままでは問題を解くのが難しい、という状況は数学にも存在する。数学ではそういう状況に直面した場合、記号を使って計算式をより簡単なものへと置き換えて、ひとまずそれで答を出した後に、置き換えた記号を元に戻して、簡単になった式の残りを計算して原物の問題の答を出す、ということをする。それと同じ事をまず行った。つまり、¥@教・哲学の解明をそのまま解くのが難しいと思ったため$矧wの計算法を連想し、それに比喩して¥@教・哲学の解明を$l間についての解明に置換した。そして現れた$l間についての解明を考える時、それは形而上学の一種である、という答を引き出すことに成功する。しかし、この答を引き出すために行った比喩による置換は、連想による想定、であり、直観で行っているため答に対しての信憑性が薄く感じられる。そこで検算を行う必要が出てくる。この場合の検算とは、すなわち$l間存在における形而上学の解明である。
 $l間存在における形而上学の解明――『人間存在』に限らずに、形而上学の解明は今までにも多くの哲学者、宗教家などによって試みられてきたが、ここで私も、大胆にもそれを試してみようと思う。
 ではそれはどのようにして行えばよいであろうか。その問題を解明することが、宗教・哲学の定義へと繋がり、更には人間が人間足りうるために持たざるを得ない自我と本能という二つの項目についても、なんらかの意味づけを行う事が出来るのではないかと、私は考える。
 では、この章の冒頭文の分析の完遂と共に、次章から《宗教・哲学》の分析を始めてみようと思う。
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