前書き_____
 目次 前書き 第一章 第二章 第三章 第四章
 このページのタイトル『宗教か哲学か』の由来は、『異邦人』『ペスト』などで知られるフランスの作家アルベール・カミュと、同じくフランスの作家でもあり哲学者でもあるジャン=ポール・サルトルの論争を纏めて出版した書物のタイトル『革命か反抗か』から来ている。
 この書物に収められている論争は、カミュが出版した評論『反抗的人間』を契機として始まったらしいが、私の場合は『高校の世界史の授業』がそれに当てはまるであろうか。たしかに、私は高校の世界史の授業がなければ、今こうしてこのようなHPを作ることも無かったであろう。前々から頭の中では考え、一応の分類を行ってはいたので、いずれは形にしたいと思っていたのでちょうど良かった、という点ではサルトルとは立場が違うかもしれない。
 しかし何にせよ、これは私の文章であるからそれほどカミュやサルトルを気にする必要は無いだろう。それでも私が彼らの論争を纏めた本のタイトルをこのページのタイトルの由来としたのだから、そのタイトルについては一つここで書いておいても構わないだろう。
『宗教か哲学か』『革命か反抗か』、この二つ共における《か》という言葉は、《か》の直前の語句Aと、《か》の直後のAとは別の語句Bの《どちらか》という意味で付けられているものだが、それが『宗教』『革命』の後に付けられているのは、その次に『哲学』『反抗』という別の語句が現れていることからも頷ける。では、『哲学』『反抗』の後に付けられている《か》とは何なのだろうか。『革命か反抗か』を見た時、私は思った。『革命』と『反抗』以外に、もう一つ何かあるのか、と。そして私は、私なりに一つの結論を出した。それ――もう一つの何かとは、『何もしない事』なのではないだろうかと。そしてそれは、『宗教』と『哲学』を分類・確立するうえにおいても、『何もしないこと』という項目を加えて比較することにより、更なる分類・確立を押し進めることが出来るのではないかと考えた。そして実際私はそれに成功したつもりである。であるからこうしてこのHPが出来上がっているのだ。
 私はこのHPにおいて、私なりの『宗教』『哲学』『何もしないこと』(これは本文中においてそれが何に当てはまるのか説明される)という三つの分類と確立をなしていきたいと思う。
 だが、これが《レトリックの遊戯》であることは断言しても良いであろう。それはどんな評論にも当てはまるのではないだろうか。しかし、だからこそ、評論には反対論が付き物なのである。私がこのページのタイトルを『革命か反抗か』から取ったのには、もう一つ、是非とも私の論に対する反対論を、読者に唱えていただきたいという理由があるのだ。私が本文において築き上げたレトリックの論理を、根底から瓦解させるような反対論を唱えていただきたいのだ。
 反対論が唱えられる、ということは、その元となった論は偽りであることが証明され、更なる高次に進む事が出来る、ということでもあり、それは弁証法と呼ぶべき行為であろう。私は修辞的分析によって、物事を簡略化して(低次化して)解答を導き出しているために、その結論が低次元のものとなっていたとしても、それはやむをえないであろう。であるから、これにたいする反対論は、恐らく唱える余地があるのではないかと思われる。だから私は、しつこいようだが再三にわたって願うのである。
 私の論をデータ(参考資料)として、反対論を考え唱えていただきたい、と。
 そう希望を書いておいた上で、この前書きを締めくくらせていただく。
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